AHでは「心の平和を唯一の目的とする」と言われています。自分の心の平和に自分で責任を持つことは良いことだとおもいますが、それだけに専念していれば十分という考えには私は疑問を持っています。
自分の心の平和に自分で責任をもちながら、他人に思いやりを向ける行動をしたり、社会やコミュニティに貢献していったり、という生き方が良いと私は思います。
だから、自分の心さえ平和なら他人や社会やコミュニティのことはどうでもいい、自分には関係ない、という考えには私は賛成しません。AHをされている方でそういう方の接すると自分とは違うなと思い、仲間意識は感じません。
また、私は健康やお金も私は大切だと思っています。
そこで思い出すのはAHファシリテータートレーニングで行う「死のワーク」。
自分にとって大切なものを紙に書きだして、それぞれ順番に捨てていくのです。
財産や友人なども捨てられてしまい、最後に残るのは愛だけ、って感じです。
もし自分が不治の病に侵されて、病院で生命維持装置につながれてしゃべることも動くこともできなくなったら。確かに財産や友人、健康ですら重要でなくなるかもしれません。そうなったら、こころの平和だけが唯一の目的、となるかもしれないです。
ただ、現状、不治の病じゃないし、健康ですし、お金もありますから、今から死の床にある心境で生きるのも変な気がしています。
私は生を満喫してせいいっぱい楽しみたいです。
そいうわけで「心の平和を唯一の目的とする」を、言葉通りにとらえて、実践する気は私にはありません。「唯一の」というところが極端だと思うのです。
それは死の床についたときやればいいと思っています。